
引き寄せの参考書
03.神との対話3
第6章
ちょっと話題を変えて、地球の変化について話していただきたいのですが。
でも、その前に、ひとつ気づいたことがあります。
ここでは、繰り返して話されることが、沢山ありますね。
どうも、同じことを何度も聞いているように思うんです。
それは結構!
たしかにそうなんだ!
前にも言ったが、そのように仕組まれているのだよ。
このメッセージは「ぜんまい」のようなものだ。
巻き戻った状態では、ひとつの輪が別の輪に重なり合って、文字通り
「ぐるぐると輪を描いて」いるように見える。
ほどいてみてはじめて、長いらせん状に延びていることがわかるんだよ。
そう、あなたの言う通りだ。
何度も、違った言い方で繰り返していることが沢山ある。
同じ言い方で繰り返すこともある。
このメッセージが終わっても、あなたは中心の部分を文字通り繰り返すことができるだろう。
繰り返したいと思う日がくるだろうよ。
よくわかりました。
ところで、私が「神様との直通電話」を持っていると思っている人が沢山いるんですが、
彼らは、地球は滅亡する運命なのか、知りたがっています。
前にも伺いましたが、もっと直接的な答えがいただきたいんです。
大勢の人が予言しているように、地球には変化が起こるのでしょうか?
そうでないとしたら、超能力者たちが言うのは、つくりもののヴィジョンですか?
私たちは、祈るべきなんですか?
変えるべきなんですか?
私たちにできることがあるんでしょうか?
それとも悲しいことに絶望するしかないんでしょうか?
その問題なら、喜んで話してあげるよ。
ただし、「先へ進む」わけではないね。
時間についてのこれまでの説明の中で、答えはすでに与えられているからね。
「将来起こることはすべて、すでに起こっている」というあの説明ですか?
そうだよ。
でも、「すでに起こっている」すべてというのは、何なのですか?
どんなふうに起こったのですか?何が起こったのですか?
すべてだよ。
すべては、すでに起こっている。
あらゆる可能性は事実として、完了した出来事として存在する。
どうしてそんなことが可能なのか、まだわからないんですが。
解りやすく話してあげよう。
子供たちがCD-ROMでゲームをやっているのを見たことがあるだろう?
その時、子供たちのジョイスティックの動き一つ一つにどう応じればいいのか、
どうしてコンピュータにわかるんだろうと思ったことはないか?
ありますね。不思議だと思いました。
すべてCD-ROMにある。
コンピュータがあらゆる子供たちの動きにどう応じればいいのかを知っているのは、
可能性のあるすべての動きとその適切な対応がすべて、CD-ROMに記録されているからだ。
いやあ、奇妙ですね。
シュールだなあ。
すべての結末、結末に至る全ての紆余曲折が、すでにCD-ROMにプログラムされていることがシュールかな?
ちっとも「奇妙」なことはないよ。
それが技術じゃないか。
で、ゲームの技術に関心するなら、宇宙の技術を考えてごらん!
宇宙の車輪をCD-ROMだと想像してみればいい。
すべてのエンディングはすでに存在している。
宇宙はただ、あなたが今度はどの動きを選択するかを待っている。
あなたが勝つか、負けるか、引き分けてゲームが終了したら、宇宙は言うだろう。
「もう一度、やりたいかい?」
CD-ROMはあなたが勝とうが負けようが気にしないし、「感情を害した」りもしない。
ただ、もう一度ゲームをするチャンスをくれるだけだ。
すべてのエンディングはすでに存在する。
あなたがどのエンディングを経験するかは、何を選択するかによって決まるのだよ。
すると、神様はただのCD-ROMみたいなものなんですね?
私は、そうは言わないな。
だが、この対話では、誰にでも理解できる概念で説明しようとしている。
だからCD-ROMのたとえを使ったのだよ。
生命は、多くの点でCD-ROMのようなものだ。
すべての可能性が存在し、すでに起こっている。
どれを経験するかは、あなたの選択次第だ。
地球の変化についても、全く同じことだよ。
多くの超能力者が語る地球の変化は真実だ。
彼らは「未来」への窓を開いて見たのだ。
問題は、彼らが見たのはどの「未来」かということだな。
CD-ROMのゲームの結末と同じで、いくつものヴァージョンがあるのだから。
あるヴァージョンでは、地球には天変地異が起こる。
あるヴァージョンでは起こらない。
実は、全てのヴァージョンはすでに起こっている。
思い出してごらん。
時は・・・・。
知ってます。知ってますよ。
「時というものは存在しない」・・・。
その通り。すると、どうなる?
だから、全てのことはいっぺんに起こっている。
そうそう、その通り。
かつて起こったことは全て、今起こっているし、将来起こることは全て今起こっている。
だから、超能力者が予言する滅亡は真実なのかと考えるのなら、関心をすべてそこに集中してごらん。
そうすれば、その滅亡を自分に引き寄せる。
別の現実を体験したいと思うなら、そちらの方へ関心を集中すれば、その結果が引き寄せられるだろう。
すると、地球に変化が起こるのかどうかは教えてくれないんですね?
あなたがどうるのか、こっちが聞いているのだよ。
あなたが、思考で、言葉で、行動で決定するんじゃないか。
コンピュータの2000年問題はどうなんですか?
「2000年問題」が原因で、社会的経済的システムに大変動が起こると言う人もいますね。
そうなんですか?
あなたはどうする?
何を選ぶ?
その問題と自分は関係がないと思うかね?
それは違うな。
私はあなたの未来を予言しに来たわけではないし、予言するつもりもない。
だが、これだけは言えるね。
誰にでも言えることだが。
あなたがたが慎重でなければ、いま向かっているところへ行き着くだろう。
従って、向かっている行く先が気に入らないなら、方向を変えることだ。
どうすれば、変えられますか?
どうすれば、そんな大きな事柄に影響を及ぼすことができますか?
超能力者や霊的な「権威」が予言する破局に対して、私たちは何をすればいいんですか?
内側へ入っていきなさい。
内なる知恵を探ってごらん。
内なる知恵が何をしろと呼び掛けているか、聞いてごらん。
そして、その通りに行動しなさい。
政治家や経済人に手紙を書いて、地球の破局に繋がる環境破壊を防ぐように頼めと言われたら、実行しなさい。
コミュニティの指導者を集めて2000年問題に取り組めと言われたら、実行しなさい。
ただ、自分の道を進み、毎日プラスのエネルギーを送って、まわりの人たちがパニックに陥って問題を起こしたりしないようにせよと言われたら、実行しなさい。
一番大事なのは恐れないことだ。
いずれにしても、あなたがたは「死ぬ」ことはないから、恐れることは何もない。
プロセスの展開を認識し、すべてはうまくいくと知っておだやかにしていること。
全てのものごとの完璧さに触れようと努めなさい。
どこへ進もうとも、そこは本当の自分を創造するという経験にふさわしい場所なのだ、ということを覚えておきなさい。
これが平和への道だ。
全てのの物事に完璧性を見ること。
最後に、何事からも「のがれ」ようとしてはいけない。
抵抗すると、相手はますます強くなる。
将来に、あるいは「予言」された将来に悲観するひとたちは、「完璧さのなか」にとどまれない。
他にもアドバイスしていただけますか?
祝いなさい!
生命を祝いなさい!
自己を祝いなさい!
予言を祝いなさい!
神を祝いなさい!
祝いなさい!
ゲームをしなさい。
瞬間瞬間が何をもたらすように思えても、その瞬間に喜びを見出しなさい。
喜び、それが本当のあなたであり、いつまでもそうなのだから。
神は不完全なものを創造することはできない。
神が不完全なものを創造できると思っているのなら、それは間違いだ。
だから、祝いなさい。
完璧さを祝いなさい!
微笑み、祝い、ただ完璧さだけを見て、人が不完全だというものに不完全なかたちで触れないように、注意しなさい。
それじゃ、地球の変動を私が防ぐことができると、あるいは隕石の衝突や地震による崩壊を、コンピュータの2000年問題のパニックと混乱を防ぐことができるとおっしゃるんですか?
そういうことにマイナスの影響を受けることは防げるね。
私がお尋ねしたのは、そういうことじゃないですよ。
だが、私が答えるのはそういうことだ。
恐れずに将来に立ち向かいなさい。
「プロセス」を理解し、全てに完璧さだけを見なさい。
その平和、穏やかさ、静けさは、人が「マイナス」だという経験や結果をあなたから遠ざけてくれるだろう。
もし、あなたのおっしゃることが全て間違っていたら、どうなるんですか?
もし、あなたが「神」なんかじゃなくて、わつぁいの豊かな想像力が過熱したあげくの産物だとしたら?
ああ、またその問題に戻るのか?
それがどうした?
もっと良い生き方が考えられるかね?
私が言っているのは、地球全体的な災厄が起こるという恐ろしい予言に対しても、静かに安らかに、穏やかに落ち着いていなさい、そうすれば、最善の結果になるだろう、ということだよ。
考えてごらん。
たとえ、私が「神」でなくても、ただの「あなた」であっても、もっと良いアドバイスがあると思うかい?
それは、ないでしょうね。
では、いつも言うことだが、私が「神」であってもなくても変わりはない。
それなら、その知恵を生かしなさい。
他にもっと良い方法を考え着いたら、その通りにすればいい。
いいかい、ここで語っているのが、本当はただのニール・ドナルド・ウォルシュだとしても、どの問題であれ、もっと良いアドバイスは多分見つからないだろう。
だから、こう考えたらいい。
語っているのは神か、さもなければ、ニールは非常に利口な男だ、とね。
どんな違いがある?
違いはですね、神が語っていると納得できれば、もっと注意深く耳を傾ける、ってことです。
おいおい、ばかな。
私は百もの違った形で、千回もメッセージを送ってきたのに、あなたはほとんど無視してきたではないか。
ええ、まあそうでしょうね。
まあ?
いいですよ。その通りでした。
それでは、今回は無視するのはやめなさい。
この本をあなたにもたらしたのは誰だと思う?
あなた自信だ。
だから、神の言葉に耳を傾けられないのなら、自分自身の言葉に耳を傾けなさい。
あるいは、親切な超能力者に。
あるいは、親切な超能力者に。
また、からかっているんですね。
でも、それでもうひとつ、お聞きしたいことを思い出しました。
分かっている。超能力者のことだろう。
どうして、分かったんですか?
私は超能力者だから。
へえ、そうか、そうでしょうね。
あなたは、全ての超能力者の母だ。
チーフだ、トップだ、大物ですよ。
あなたこそヒーロー、ボス、体調、取締役会長だ。
そうそう・・・・わかってるじゃないか。
ようし、やったぞ。
クールだ、兄弟。
では、続けようか。
それでですね、私が知りたいのは、「超能力」とは何かってことなんです。
あなた方はみんな「超能力」を持っている。
実は、誰でも持っている、「第六感」なのだよ。
超能力とは、限られた経験からもっと広い視界に出ていく能力のことだ。
そして、戻ってくる。
限られた人間が感じると思うよりもっと多くのことを感じること、自分が知っているはずだと思うよりもっと多くのことを知ることだ。
自分のまわりのもっと大きな真実から真実をくみ上げる力、異なるエネルギーを感じる力だ。
その能力はどうすれば増強できますか?
「増強」というのは良い言葉だ。
その能力は筋肉のようなものだからね。
誰でも持っているが、特に増強させようとする者もいるし、放ったらかしで使い物にならない者もいる。
超能力の「筋肉」を増強させるには、鍛えなければいけない。
使いなさい。
毎日、使いなさい。
今でも、筋肉はあるが小さい。
弱い。
活用されていない。
だから、直観は時々しか「当たらない」し、あなたはそれに従って行動しようとしない。
何かについて「勘」が働いても、無視する。
夢を見たり、「インスピレーション」を感じても、注意しないで見過ごす。
あなたがこの本の「直観」に注意を払って良かった。
そうでなければ、いま、この言葉を読むこともなかったのだからね。
あなたはこの言葉がたまたま訪れたと思うのか?
偶然だと?
「超能力」を増強する第一歩は、それを持っていることを知って、使うことだ。
あらゆる勘、あらゆる感情、あらゆる予感に注意を払いなさい。
注意を払うこと。
それから「知った」ことをもとに行動する。
それについては、精神に口出しをさせてはいけない。
不安だからと、遠ざけてはいけない。
恐れげもなく直観通りに行動すればするほど、直観が役立つようになる。
直観は常にあるのに、あなたが注意を払っていないだけだ。
でも、私が言うのは、いつでも駐車スペースを見つけられるといったたぐいの超能力じゃないんですよ。
本物の超能力について聞きたいんです。
未来を見る能力とか。
他人について分かるはずがないことが分かる能力とか。
私も、その話をしているよ。
そういう超能力は、どんなふうに働くんですか?
超能力を持った人の言うことは聞いた方がいいですか?
超能力者が予言をしたら、私の未来は決まってしまうんでしょうか。
それとも、自分で変えられますか?
部屋に入ったとたんに、こちらのことが分かってしまう超能力者というのは、どうしてあんなことができるんでしょう?
もし・・・・。
ちょっと待ちなさい。
あなたは四つの違う質問をしている。
一つずつ、取り上げていこう。
超能力現象には、三つのルールがある。
それを知れば、超能力がどんなふうに働くか、分かるだろう。
①思考は全て、エネルギーである。
②物事は全て、動いている。
③全ての時は、現在である。
超能力者とは、この現象が引き起こす経験、つまり振動に自分を開いている人だ。
時には、心に画像が浮かぶ。
時には、思考が言葉になる。
超能力者は、このエネルギーをうまく感じ取る。
最初は簡単ではない。
このエネルギーは非常に軽くて、移ろいやすく、かすかだから。
髪がそよいだ気がする夏の夜の微風のようなものだ。
遠くで聞こえた気がするが、定かではないかすかな音のようなものだ。
目の隅にちらりと映ったと思うが、そちらを見ると消えている一瞬のイメージのようなものだ。
本当にあったのかな?
超能力の初心者が常に抱く疑問がそれだ。
優れた超能力者は、決して疑問を抱かない。
疑問を抱いたら、答えが消えてしまうから。
疑問を抱くというのは精神の働きだが、超能力者は精神を働かせるのをとても嫌う。
直観は精神には存在しない。
超能力者になるには、精神から離れ、常軌を逸していなければならない。
直観とは心に、魂にあるものだから。
直観とは、魂の耳だ。
魂だけが、生命のほんのかすかな振動を「聞き分け」、エネルギーを「感じ」、波動の存在を意識して、それを解釈する繊細な道具(ツール)を持っている。
あなたがたには、五つではなく六つの感覚がある。
嗅覚、味覚、触覚、資格、聴覚・・・そして知覚だ。
「超能力」とはこんな風に働くのだよ。
何かを考えると、思考はエネルギーを放出する。
思考はエネルギーなのだ。
超能力者の魂は、そのエネルギーを感じ取る。
真の超能力者はそれを解釈せず、どんな感じかをそのまま口にする。
だから、超能力者にはあなたの考えが分かるのだ。
あなたの今までの感情のすべてが、魂の中に残っている。
魂は、感情の総和だ。
貯蔵所だよ。
貯蔵してから何年も経っていても、真の超能力者は、その「感情」を折々に感じ取ることができる。
それは、「いま、すべてがある」からだ・・・。
時なとどいうものはないから・・・。
だから、超能力者はあなたの「過去」について語れる。
「明日」もまた存在しない。
全ては、たった今起こっている。
全ての出来事がエネルギーの波を放出し、宇宙の感光板に消えない映像を焼き付けている。
超能力者は「明日」の映像を、今起こっていることのように見たり、感じたりできる。
本当に、今起こっているのだからね。
だから、「未来」を語る超能力者もいるのだ。
物理的には、どう作用しているのか?
たぶん、自分でも気づかずに、超能力者は激しい集中力によって自分の超微粒子を放出しているのだろう。
「思考」と言ってもいい。
それが身体を離れ、はるか彼方まで飛んでいき、それから向きを変えて、遠くからまだ経験されていない「いま」を見る。
超微粒子の時間旅行ですか!超微粒子の時間旅行か!
そう言うこともできるね・・・・。
どうやらSFチックなコメディになったらしいな。
いやいや、そんなことはないです。
まじめに聞きますよ・・・・約束します。
どうか続けてください。
よろしい。
超能力者の超微粒子は、集中することによって得られたイメージのエネルギーを吸収し、身体に持ち帰る。
超能力者は「その映像を獲得する」・・・・・ときには身震いしつつ。
あるいは「感情を感じ取り」、できるだけデータを「処理」せずに、単純に、即座に、それを表現しようとする。
超能力者は、自分が「考えた」ことや、「見た」ことに疑問をいだかず、できるだけ手を触れずに、ただそのまま「通過」させる。
何週間かして、見たり「感じた」りした出来事が本当に起こったら、超能力者は未来が見えると言われる。
確かに、その通りなのだ!
そうだとしたら、「予言」が当たらない場合はどうなのですか?
実現しなかった、という場合は?
超能力者は「未来を予言」しているのではなく、ただ、「永遠のいま」の中に垣間見た「可能性」の一つを話しているに過ぎないからだよ。
何を見るかは、リーディングをする超能力者が選択する。
彼は、簡単に別の選択をするかも知れない。
予言と矛盾する選択をね。
「永遠の時」には「可能性」の全てがある。
全ては何百万もの違った方法ですでに起こっている。
あとは見方を選択するだけだ。
要するに見方の問題なのだよ。
見方を変えると、思考が変わり、思考が現実を創造する。
どんな結果を期待しても、全てはすでに存在している。
あなたはどう見るか、どう知るかを決めるだけだ。
実際、あなたが祈る前に祈りは「かなえ」られているのだよ。
それでは、祈っても、全てが叶うわけではないのはどうしてですか?
そのことは第一の対話で話したね。
求めるものを常に得られるとは限らないが、自分が想像するものは常に得られる。
創造は思考に従い、思考は見方に従う。
しかし、驚きですよね。
前にも伺いましたが、やっぱり驚いてしまうなあ。
そうだろう?
だから、何度も話し合う方がいい。
何度でも聞いているうちに、あなたの精神が慣れてくる。
そして、「もう驚かなく」なる。
全てがたった今起こっているなら、私が「いま」、そのうちのどの「部分」を経験するかは、何によって決まるんすか?
あなたの選択・・・・信念を持った選択で決まる。
その信念を創造するのは、あなたの考えであり、その考えは見方によって決まる。
つまり、自分が「どう見るか」によって決まる。
超能力者は、あなたが選択した「明日」を見て、それが現実化するのを見る。
しかし、真の超能力者は、必ずそうなるわけではない、と言うはずだ。
あなたは「選びなおす」ことができるし、そうすれば結果も変わる。
それどころか、わたしはすでにした経験を変えていますよね。
その通り!
分かってきたようだね。
パラドックスを生きるという意味を、理解してきたらしい。
でも、「すでに起こっている」としたら、それは誰に対して「起こった」んでしょう?
私がそれを変化させたら、その変化を経験する「わたし」はどの私なんですか?
時間の流れの中を移動していく「あなた」は、ひとりではない。
もう一度、第二の対話を読み返すといい。
それから、ここで話されたことと組み合わせて考えれば、理解が深まるよ。
分かりました。
ごもっともです。
だが、超能力者について、もう少し伺っていいですか?
自分には超能力があるという人の中で、本物と偽物には、どうすれば見分けられますか?
誰でも「超能力者」だから、全て「本物」だよ。
気を付けなければならいのは、彼らの目的は何か、ということだ。
あなたを助けようと思っているのか、それとも自分が豊かになりたいのか。
豊かになろうとする超能力者
いわゆる「プロの超能力者」
は、超能力で何かをしてあげると約束することが多い。
「去って行った恋人を取り戻してあげる」「富と名声をあげる」、体重を減らしてあげる、なんてものまであるね!
何でもしてあげる、と彼らは言う。
ただし、料金を払えば、とね。
上司や恋人、友人など、他人の心を「読んで」教えてあげようと言う者すらいる。
そういう時は、「何か持ってきなさい。スカーフでも、写真でも、手書きの文章でもいい」と指示するだろう。
確かに、彼らは他人について話してくれる。
かなりのことを話してくれる場合も多い。
誰でも跡を残しているからだ。
「心霊的な指紋」、エネルギーの痕跡だね。
そして、本当に繊細な者は、この痕跡を感じ取る。
だが、誠実な者なら、自分の超能力で去った人を取り戻したり、他人の気持ちを変化させたり、何らかの結果を創造してあげるとは、決して言わない。
生涯をかけて、恵まれた超能力を増強し、活用しようとしている真の超能力者は、決して他人の自由意志を踏みにじってはならないこと、他人の考えに侵入してはならないこと、他人の心霊的スペースを侵害してはならないことを知っているからだ。
「正しい」とか「間違っている」とかいうことはない、そうおっしゃいましたよね?
なぜ急に、「決して」してはならないなんて、おっしゃるんですか?
私が「常に」とか「決して」というのは、あなたが何を成し遂げたがっているかを考えて言っているのだよ。
あなたがひたすら進歩し、霊的に成長し、「ひとつであるもの」へ回帰したがっていることを、私は知っている。
あなたは、真の自分についていだく最も偉大なヴィジョンの最も壮大なヴァージョンとして、自分を経験したがっている。
あなた個人としても、人間という種としても同じだ。
何度も行ったが、私の世界には「正しい」とか「間違っている」ということはないし、「せよ」とか「するな」ということもない。
しかし、物質的宇宙に組み込まれた自然の法則はある。
その一つが、因果関係の法則だ。
自分が引き起こした結果は、結局、自分自身が経験する。
それは、どういうことなんですか?
他人に経験させたことは、いつか、必ず自分が経験する、ということだよ。
ニューエイジのコミュニティでは、もっと面白い言い方をしているね。
「行ったものは、必ず戻る」ですか。
そうそう。
イエスの教えとして知っている人もいる。
自分にしてほしいと思うように人にしてやりなさい。
イエスは、因果関係を教えているのだ。
第一の法則と呼んでもいい。
「いかなる社会の正常な展開にも介入してはならない」という、カーク、ピカード、ジェインウェイという歴代艦長に与えられた宇宙艦隊規約第一条のようなものだな。
ええっ、神様は「スタートレック」のファンだったんですか!
何をたわごとを言っているのだろうね?
エピソードの半分は、私が書いたのだ。
製作者のジーンには聞かせない方がいいですね。
おいおい、ジーンに話してくれと言われたのだよ。
ジーン・ロッデンベリーはもちろん、カール・セーガンとも、ボブ・ハインラインとも話しているよ。
しかしですね、そういうかる愚痴ばっかりだと、対話全体の信頼性が損なわれてしまいますよ。
なるほど、神との対話は生真面目でなくてはならないのだね。
少なくとも、信頼できないとね。
ジーンやカール、ボブを持ち出すと、信頼できなくなるのかな?
彼らにそう言ってやらないといかんね。
さて、真の超能力者と「にせもの」とを見分ける方法に戻ろうか。
真の超能力者は艦隊規約第一条を知って、実践している。
だから、「昔、別れたた恋人を」取り戻してほしいとか、ハンカチや手紙から誰かのオーラを「読んで」ほしいと言っても、真の超能力者なら、こう答えるだろう。
「すみませんが、それはできません。他人が歩いている道を邪魔したり、人のことに介入したり、のぞき見たりはしないのですよ。他人の個人的、私的な情報をお教えするわけにはいきません」
そいういう「サービス」をしてあげると言う者がいたら、それはあなたの人間的な弱点や欠点をりようして金を巻き上げようとする「いかさま師」だと考えていい。
でも、失踪した人を探し出して人助けをする超能力者はどうなんですか?
誘拐された子供とか、家出したまま、どんなに帰りたくてもプライドが邪魔して帰れないティーンエイジャーとか。
それに、調査に協力して(死者も生者も含め)失踪人の居場所を突き止めるという、昔ながらの超能力者の場合は?
もちろん、それは考えれば明白だろう。
真の超能力者が避けているのは、他者に自分の意思を押し付けることだ。
真の超能力者は、人のためなろうとしているのだよ。
それじゃ、死者と話したいと頼むのは構わないんですか?
「先に逝った」人たちと接触しようとしても、いいんでしょうか?
どうして、そうしたい?
何か、私たちに言いたいことがあるかも知れないからです。
「向こう側」にいる誰かが何かを知らせたいと考えれば、必ず方法を見つける。
だから、心配しなくていい。
「先に逝った」おじ、おば、いとこ、兄弟、姉妹、父母、配偶者、恋人、みなそれぞれの旅を続け、完全な喜びを経験し、完全な理解を目指して進んでいる。
彼らが(あなたがどうしているか見たい、彼らが元気でいると知らせたいと)あなたの元へ戻りたくなれば、ちゃんと戻ってくるから大丈夫。
だから、「徴(しるし)」に気を付けて、受け止めなさい。
気のせいだ、と「希望的観測」だ、偶然だと切り捨てたりしないこと。
知り合いの女性が、瀕死の夫を看病しているとき、こう頼んだそうです。
どうしても逝ってしまうのなら、お願いだから帰ってきて、大丈夫だよと知らせてね・・・。
夫は、そうすると約束し、二日後に亡くなりました。
それから一週間もしないある夜、目覚めた彼女は、誰かがベッドの自分のそばに座っていると感じたんです。
目を開けてみると、誓ってもいい、そこに夫がいたと言うんですよ。
ベッドの足元の方に座って、微笑みかけていたそうです。
でも、またたきしてもう一度見ると、夫は消えていた。
後になってその話をした彼女は、きっと幻覚を見たのね、と言っていました。
そう、よくあることだ。
反論のしようのない、はっきりとした徴(しるし)を受け取っているのに、無視してしまう。
あるいは、気のせいだ、幻だと切り捨ててしまう。
この本についても同じことだよ。
イエスの復活を疑ったトマスと同じで、見て、感じて、触れなければ、信じようとしない。
だが、あなたが知りたいことは、見ることも感じることも触れることもできない。
別の領域のことだから。
あなたがたは、そこに向かって開かれていない。
まだ、用意ができていない。
だから、焦らなくていい。
生徒の準備ができたとき、教師が現れるのだから。
そうなんですね。
ところで、さっきの話に戻りますが、向こう側のだれかと接触したくなって、超能力者のところへ行ったり、降霊会に参加したりしないほうがいいんですか?
こうせよとか、するなとは言わない。
そんなことをして何になるか、と言いたいだけだ。
でも、向こう側の人に聞きたいんじゃなくて、言いたいことがあったら、どうなんでしょう?
あなたが言うことが彼らに聞こえないとでも思うの金?
「向こう側」にいる誰かについて、ほんのわずかでも考えれば、途端に、彼らの意識はあなたの元へ飛んで来る。
「逝った」ひとについて、何かを思ったり考えたりすれば、その人のエッセンスは必ず気づく。
霊媒を使って接触する必要などない。
愛こそが、コミュニケーションの最高の「霊媒(メディア)」だよ。
なるほど。
でも、「双方向」コミュニケーションはどうなんでしょう?
霊媒は役に立ちますか?
だいたい、可能なものなのでしょうか?
それとも、ほら話ですか?
危険な企てですか?
あなたの言っているのは、霊(いのち)とのコミュニケーションだね。
もちろん、可能だ。
危険かって?
怖がっていれば、何だって「危険」だよ。
何かを恐れれば、恐怖の対象を創造してしまう。
しかし恐れねばならないことなど、何もない。
愛する者は決して遠く離れはしない。
一瞬の考えより遠くへは決して行かないし、あなたが必要とするときは常にそばにいて、相談に乗ったり、慰めたり、助言したりしてくれる。
愛する者が「大丈夫」かどうかと案じて、強いストレスを感じていれば、必ず徴(しるし)、合図、ちょっとした「メッセージ」を送って、全てうまくいっているよ、と知らせてくれる。
彼らに呼びかける必要すらない。
この世であなたを愛していた者の魂は、あなたの霊のフィールドに小さなトラブルや乱れを感じた途端、引き付けられ、引き寄せられて、飛んでくる。
新しい世界で得られる可能性について知れば、彼らはまず愛する者を助けよう、慰めようとする。
だから、あなたも本当に彼らに向かって自分を開いていれば、そばに来て慰めてくれるのを感じるはずだ。
亡くなった人が部屋にいたと「誓ってもいい」という人たちの言葉は、本当なんですね。
もちろんだとも。
愛する者の香水の匂いを嗅いだり、葉巻の香りがしたり、よくハミングしていた歌がかすかに聞こえたりすることもある。
あるいは、故人の持ち物がいきなり現れる。
ハンカチや財布、カフス、宝石などが「なぜか、突然に」出てくる。
椅子のクッションの隙間や、古い雑誌の下で「見つかる」。
おや、こんなところに、特別な絵や写真が、故人を思い出して偲び、悲しくなったちょうどそのとき、目に触れる。
そういうことは、「たまたま起こる」のではない。
そういうものは、「ちょうど、故人を偲んでいるとき」に、たまたま「なぜか、突然に」出てくるものではない。
いいかね、宇宙には偶然はないのだよ。
そういうことはよくある。
しょっちゅう起こっている。
さて、あなたの質問に戻ろうか。
身体から離れた存在とコミュニケートするのに、いわゆる「霊媒」や「チャネリング」が必要か?
いや、必要はない。
役に立つか?
役に立つこともあるだろう。
それは、超能力者あるいは霊媒師にいよるし、彼らの動機による。
高い報酬を払わなければ「チャネリング」や「仲介」をしないと言われたら、とっとと逃げ出しなさい。
そんな相手は金だけが目当てかもしれない。
何週間も、何か月もそれどころか何年も「振り回されて」、「霊界」と接触したいというあなたの欲求や願いを利用されても、不思議ではない。
ただ、助けるためだけに(霊がそうであるように)いるなら、そういう人は、自分の仕事を続けるのに必要なもの以外は一切要求しない。
そういう超能力者や霊媒が助けてくれると言うなら、こちらもできるだけの援助をすることだ。
相手の方がいな寛容さに付け込んで、十分にこたえられるのが分かっているのに、わずかしか、あるいは何も提供しないというのはいけない。
本当に世界のために役に立ちたい、本当に知恵と知識を、洞察と理解を、思いやりと優しさを分かち合いたいと思っている人を探しなさい。
大いにその人たちの力になってあげなさい。
最高の敬意を払いなさい。
できるだけ多くを提供しなさい。
彼らこそ、光の担い手なのだから。