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引き寄せの参考書

06.神とひとつになること

書籍:神とひとつになること

著者:ニール・ドナルド・ウォルシュ(wiki)
出版社:サン・マーク出版

私たちの思考を支えているものが何なのか、10の幻想について解説されています。

■プレリュード
神は長年に渡って、何度も、様々な方法であなたがたに語ってきたが、これほど直接的に語ることは稀だった。

今回、私はあなたに直接に語りかける。これは、あなたがたの歴史の中でもほんの何度かしか起こらなかったことだ。
こんな風に私に、そして自分自身に、耳を傾ける勇気を持った人間は少なかった。
聞いたことを人と分かち合おうとする者はさらに少なかった。
だが、耳を傾け、分かち合った人たちは世界を変えてきた。


イソップ、孔子、老子、 ブッダ、モハメット、モーセ、イエスと言った人たちだ。
荘子、アリストテレス、ファン・ポー、サハラ、マハヴィラ、クリシュナムルティもそう。

 

パラマハンサ・ヨガナンダ、ラマナ・マハリシ、カービル、ラルフ・ウォルド・エマーソン、ティック・ノート・ハン、ダライ・ラマ、エリザベス・クリントン。

 

スリ・アウロンド、マザー・テレサ、メヘール・ババ、ハマトマ・ガンジー、カリル。ギブライン、バハ・アラー、アーネスト・ホームズ、サイババ。

 

ジャンヌ・ダルク、アッシジの聖フランシスコ、ジョゼフ・スミス・・・


ここでは取り上げないが、まだまだ大勢の人たちがいる。だが、あなた方は地球に住む人類全体に比べれば、ごく僅かだ。
 

この少数の人々は、私のメッセンジャーである。みんな、自分の心に見出した真実をできるだけ理解し、できるだけ純粋な形で伝えた。どれも不完全なフィルターを通じてではあったが。

 

それでも非凡な知恵を人間にもたらし、人類全体の役に立った。
驚くべきことに、どの洞察も実によく似ている。時代も場所も様々。

何世紀も隔てた遠い場所なのに、この人々は同時に語ったと言ってもおかしくないほど違いはわずかで、共通点は非常に多い。


この人たちの中に、今生きている人々を、一番新しいメッセンジャーとして加えよう。
私たちは、一つの声で語るだろう。
もし、語らないとすれば別だが。
選択するのはあなた方だ。

これまでもそうだった。

「いま」という瞬間の全てにおいて、決定し、行動を通じて表現するのはあなた方だ。


始まりにの「とき」には、あなたの考えは私の考えであり、私の考えはあなたの考えだった。


始まりには、それしか無かった。
 

「存在」の源はたった一つしかなく、その源が「存在」そのものだった。


その源から全てが生まれ、全体に「存在」が浸透していき、全体の中の「個」として現れた。


一つのメッセージの個々の解釈と表現が、「一つの存在」の奇跡を、様々な形で生み出した。


「一つの存在」の様々な形、それが、あなた方が「生命いのち」と呼んでいるものだ。
 

生命は解釈し、表現された神である。
様々な形に写しなおされた神である。

 

最初の段階では、唯一の非物質から個々の非物質へと写しなおされる。
第二段階では、個々の非物質から個々の物質へと写しなおされる。
第三段階では、個々の物質から個々の非物質へと写しなおされる。
第四段階では、個々の非物質から唯一の非物質へと写しなおされる。

 

こうして、生命の円環は完成する。
神を写しなおすプロセスが続き、一つの神の中に無限の多様性が生まれる。


この一つの中の多様性を、わたしは「個別化」と呼ぶ。
離れ離れではないが、様々に表現できる「もの」の、個々の表現である。

個々の表現の目的は、私が私自身を、部分を通じて全体として体験することだ。
全体は部分の総和よりも大きいが、それは全体を分けてみなくては経験できない。
それが、あなたがたである。


あなたがたは神の総和(Sun of god)だ。
このことはこれまでに何度も言ったし、多くの人たちはこれを神の息子(Son of God)と来た。
それも正しい。
あなたがたは神の息子であり、娘だから。
だが、レッテルや名称はどうでもいい。
どれも同じことだ。

 

あなたがたは神の総和だ。
あなたがたのまわりにある全ても同じだ。

 

見えるものも、見えないものも、存在する全て、存在した全て、これから存在する全ては、私である。
 

全てが私、私の「今」である。
私は私である(I am That I am)、そのことは何度も言ってきた。


私でなかったものも、私でなくなったものも、一切ない。


未来の私で、今の私でないものもない。
今の私でないものにはなれないし、かつて私だったもので、もう私ではなくなったものもない。


始まりからそうだったし、今でもそうであり、いつまでもそうであって、世界には終わりはない。
     アーメン

 

私は今この日、この時間に、あなた方が新しいミレニアムを始めるときに、あなた方の元へ来ている。


新しいミレニアムに新しいスタートを切れるように。
ようやく私を知り、初めて私を選び、常に(always)、あらゆる道で(all ways)私であれるように。

 

時期に誤りはない、
私はこの新たな啓示をしばらく前から始め、二十世紀の最後まで対話を続けた。

 

そしてこの前のミレニアムの最後に、神との友情をいかに培うかを思い出させた。
 

今、新しいミレニアムの始まりにあたって、私は一つの声であなた方に語る。
あなた方が一つになれるように。

 

神と一つになる体験を選べば、あなた方はようやく、平和と解き放たれた喜び、完璧に表現された愛、そして完全な自由を知るだろう。
 

この真実を選べば、世界が変わるだろう。
この現実を選べば、あなた方はその現実を創造し、ついに真の自分自身を完璧に体験するだろう。

 

これはあなた方のこれまでの行動の中で最も難しく、これからの行動の中で最もやさしいものとなるだろう。
 

これまでの行動のなかで最も難しいのは、自分が考えている自分を否定しなければならないからであり、私を否定することをやめなければならないからである。
 

これからの行動の中で最もやさしいのは、しなければならないことは何もないからである。
 

あなた方がしなければならないことは、存在すること。
私という存在であることだけだ。

 

ただし、これは行動するというよりも、ただ、知ればいい。行動はいらない。認めればいい


私はずっと、この認識を求めてきた。
私を認めれば、あなた方は人生に(Life:生命に)私を導き入れることになる。

 

あなたと私がひとつだと認めることになる。
それが天国への切符である。
そこには「一名様入場」と書いてある。

 

私があなた方の心に入ることができれば、あなた方は天国に入れる。
あなた方の天国は地球であってもいい。
分裂の時が終わり、一つになれる時が来れば、全てが「天にあるように、地にも」存在できるようになる。

 

私と一つになること、全て一つになること、そして全ての生きとし生けるものと一つになること。
 

それをもう一度、現代のメッセンジャーを通じて語ろう。
私のメッセンジャーはいつも同じメッセージを携えているからわかる。


私たちは全て一体である。


大切なのは、このメッセージだけだ。
メッセージはこれしかない。
他は全てこのメッセージの反映に過ぎない。
全てがこのメッセージを伝えている。

 

これまでのメッセージが伝わらなかったことが(何度も聞かされたのに、あなた方には伝わらなかった)、全ての惨めさ、悲しさ、争い、苦しさの理由である。

 

全ての殺人、戦争、レイプ、盗み、そして精神的な攻撃、言葉や肉体の暴力の原因である。
あらゆる病と不快、そしてあなたがたの言う「死」と遭遇する原因でもある。


私たちは一体ではないという考え方は幻想だ。


ほとんどの人は神を信じている。
だが、神が自分たちを信じているとは思わない。
それでも、神は人々を信じている。
神は当人が思いもよらないほど、その人々を愛している。
神は遠い昔に黙してしまい、人間に語らなくなった、というのは偽りだ。
神は怒り、人間を天国から追い出した、というのも偽りだ。

 

神は判事であり、陪審員で、どの人間が天国に行き、どの人間が地獄に落ちるかを決めるというのも偽りだ。
神はかつて生きた者、今生きている者、これから生まれる者、全ての人間を愛している。

 

神の望みは全ての魂が神のもとへ戻ることであり、この望みが満たされないことはあり得ない。
神は何からも離れてはいないし、神から離れているものは何もない。

 

神は何も必要としない。
なぜなら神は、存在全てだから。
これこそ良い知らせだ。

 

他のことは全て幻想だ。
人類は長い間、幻想をいだいて生きてきた。
人類が愚かだからではなく、非常に賢いからだ。
人間は、幻想には目的が、それも非常に重要な目的があることを直感的に理解していた。


ただ、ほとんどの人間は、それを知っていることを忘れている。
それを忘れたということを忘れ、それが幻想のひとつだということも忘れている。
だが、もう思い出すべきときだ。

 

あなたは、思い出すプロセスの先頭に立つだろう。
これまでの人生を振り返ってみれば、少しも意外ではないはずだ。

 

あなたがこの本へとやってきたのは、人類がどんな幻想をいだいているかを思い出すため、そして二度と幻想にとらわれず、究極の現実に目覚めて、人生のなかでもう一度、神との一体化を達成するためである。
 

あなたは来るべくして、ここへ来た。
それが偶然でないことは明らかだ。

 

あなたは自分の内に神が存在することを体験的に知るために、そしていつでも望むときに創造者に出会う為に、ここへ来た。
 

あなたは自分の内側で、そして周りのあらゆるところで創造者を見出し、体験するだろう。
だが、そのためには、人間の幻想を見抜かなければならない。

 

幻想を無視しなくてはならない。
ここに10の幻想がある。
これを良く知っていれば、出会ったときにすぐにそれと分かるだろう。

①必要性が存在する
②失敗が存在する
③分裂が存在する
④不足が存在する
⑤課題が存在する
⑥裁きが存在する
⑦罪の宣告が存在する
⑧条件が存在する
⑨優越が存在する
⑩無知が存在する

最初の五つは物質的な幻想で、物質的な体と共に生きることに関係している。
後半の五つは物質を超えた幻想で、非物質的な現実に関係している。
これから、幻想を一つずつ細かく検討していくことにしよう。

 

幻想がどんな風に創られ、どうあなたの人生に影響しているかが分かるだろう。
そして、この本が終わる頃には、幻想の影響を振り払いたいと思う時に、どうすればいいかも分かるだろう。

 

さて、本当のコミュニケーションを開く第一歩は、疑いの心をとりあえず棚に上げることだ。
ここでも、そうしてもらおう。

 

神と生命についてのこれまでの考え方を、一旦、横に置いて欲しい。
そうしたいと思えば、いつでも戻すことができるから大丈夫。

 

その考え方を完全に捨てるのではなく、今はしまっておいて、自分の知らないことがあるかも知れないし、それを知れば全てが変わるかも知れない、という可能性を受け入れればいい。
 

例えば、いま、神があなたに話しかけているという考え方に対する反応だ。
 

以前なら、「本当に神と対話できるなんて信じられるものか」と思っただろう。
 

だが、そういう反応はひとまず置いて、今、私と直接コミュニケーションしているかもしれない、と思ってほしい。
 

受け入れやすくするために、この本の中では三人称を使って話をすることにしよう。
 

「私」という一人称単数の代名詞を使ったのでは、あなたは奇異な感じを受けるかも知れない。
 

だから、時には、「私」という言葉を使うとしても(この情報が誰から届いているかを思い出してもらうために)、原則として「神」という言葉を使おう。
 

聖なる存在と直接コミュニケーションをとるなんて、考えられない、と思うかもしれない。
 

だが、真の自分を、そして自分で創り出した幻想を思い出すために、ついにこのコミュニケーションに到達したのだとわかればそれでいい。
 

そうすれば、まもなくこの本との出会いはあなた自身が引き起こしたのだということが身に染みて分かる。
 

今のところは、あなたは人生の大半を幻想の中で生きて

きた、というわたしの言葉を聞いておけばそれでいい。
 

人間の10の幻想は、地球上の経験のごく初期にあなた

がたが創り出した、壮大で強い幻想だ。
 

しかも、あなたがたはもっと小さな幻想を毎日、何百と創り出している。
 

その幻想を信じているから、あなたがたは、幻想に会った文化的な物語を創り出し、幻想を生き、実現化している。
 

もちろん、本当の現実ではない。
 

だが、あなたが創り出した「不思議の国のアリス」の世界では、本当の現実のように見える。
 

そして、あなたがたは不思議の国の帽子屋のように、偽りが偽りで現実が現実だということを否定する。

 

しかも、随分長い間あなた方はそれを続けている。
文化的な物語は世代から世代へ、何世紀も何ミレニアムも伝えられてきた。

 

それは、あなた方が自分に訊かせる自分についての物語だ。
あなた方の文化的な物語は幻想に基づいているから、現実についての理解ではなく、神話を生み出す、人類の文化的な物語とは

①神には決まった予定がある(必要性が存在する)
②人生の結果は疑わしい(失敗が存在する)
③あなた方は神と離ればなれになっている(分裂が存在する)
④充分ではない(不足が存在する)
⑤しなければならないことがある(課題が存在する)
⑥しなければならないことをしないと、罰を受ける(裁きが存在する)
⑦罰を受ければ永遠に苦しむ(罪の宣告が存在する)
⑧したがって、愛には条件がある(条件が存在する)
⑨条件を知っていて満たすこと、それが人より優れているということだ(優越が存在する)
⑩これらが幻想だということをあなた方は知らない(無知が存在する)

この文化的な物語がしっかりと植え付けられ、あなた方は完璧にこれを生きている。
 

そして「そういうものなんだ」とお互いに言い合う。
そんな風に、あなた方は何世紀も言い続けてきた。

 

それどころか、何ミレニアムもの間そうしてきた。
あまりに長い間だったから、この幻想や物語の周りにさらに神話が生まれた。

 

一番目立つ神話は例えばこんなものだ。

・神の意志はいずれ実現する
・適者生存
・獲物は勝者のもの
・人間は現在を負って生まれた
・罪の報いは死である
・復讐するはわれにあり、と主は言われた
・わからなくても傷つきはしない
・神だけが知っている

 

他にも沢山あるが、どれも同じように破壊的で無益だ。
こうした幻想や物語、神話をもとに(どれも究極の現実とは全く関係がないのだが)多くの人たちは人生についてこんな風に考えている。


=====
「私たちが生まれ出たこの世は敵だらけだ。神が私たちに望むことと望まないことがあり、この二つを混同すると罰として永遠に苦しめられる。」

「人生の最初の経験は母親との分離、つまり生命の源から引き離されることだ。私たちの現実は全て、そこから始まっている。あらゆる生命の源からの分離を生まれるときにまず体験する」

「私たちは全ての生命から切り放されているだけでなく、人生で出会う全てからも切り放されている。存在するものは全て、私たちとは別々に存在している。私たちは他の存在全てから切り放されている。そんなことは望んでいないが、しかしそれが現実だ。そうでなければいいと思うし、そうでなくなるようにと必死で努力しているのだが・・・」

「私たちは全てとの一体感を経験したい、とりわけお互いとの一体感を経験したいと思う。なぜだかよく分からないにしても、直感的にそう思う。それが自然だと感じる。ただ一つ問題なのは、色々なものが充分でないから、みんなが満足するだけ手に入れられるほどはなさそうだ。愛も、時間も、お金も充分には得られない。満たされて幸せになるために必要だと思うものはみな、充分ではない。充分だと思った瞬間に、もっと必要だ、もっと欲しいと思うようになる」

「幸せになるために必要だと思うものは何であれ、『充分ではない』から、できるだけ沢山手に入れるために『がんばらなければ』ならない。神の愛から生命の自然な恵みまで、全ては、何かと交換でなければ手に入らない。ただ『生きている』だけでは充分ではない。だから、私たち自身も、人生の全てと同じように充分ではない」

「ただ『存在する』だけでは充分ではないから、競争が始まる。充分ではないのだから、あるものをめぐって競争しなければならない」

「私たちは、全てをめぐって競わなければならない。神もふくめて」

「この競争は厳しい。生存をかけた競争だ。だからこそ、適者生存なのだ。そして、勝者があらゆる獲物を手に入れる。負ければこの世の地獄が待っている。神をめぐる競争で敗者になれば、死後も地獄が待っている。しかも、今度は永遠の地獄だ」

「死は、私たちの祖先が間違った選択をしたために、神が創造したものだ。アダムとイヴはエデンの園で永遠の生命を持っていた。だが、イヴが善悪を知る知恵の木の実を食べたので、怒った神にアダムとともどもエデンの園から追放されてしまった。神は二人とその子孫の全てに、最初の罰として死を宣告した。それ以来、身体に宿る生命には限りがあり、永遠に生きることはできなくなったし、人生の全ても有限になった」

「だが、私たちが二度と神のルールを破らなければ、永遠の生命を返してもらえるだろう。神の愛は無条件だが、神の報酬には条件がある。神は永遠の罰を宣告したにもかかわらず、私たちを愛してくれる。その罰によって、神は私たちよりも傷ついた。なぜなら、神は本当は私たちが神の元へ戻ることを望んでいる。だが、私たちの行いが悪ければ、いくら神でもどうすることもできない。選択するのは私たちだ」

「だから大事なのは、悪い行いを避けることだ。正しく生きなければならない。正しく生きるよう、一生懸命に努めなければならない。そのためには、神が何を望み、何を望まないかを知らなければならない。正しいことと間違ったことを見分けなければ、神を喜ばせることはできず、神を怒らせてしまう。だから、何が正しくて何が間違っているかという真実を知らなければならない。」

「真実は簡単に理解できるし、知ることも容易だ。必要なのは預言者や教師や賢者、宗教の開祖や指導者の言葉を聞くこと。もし宗教が複数あって開祖や指導者も複数いれば、その中から正しい宗教、正しい指導者を選ばなければならない、間違った宗教を選んだら負けだ」

「正しい選択をすれば、人より優れた者になれる。真実の側に立てるからだ。人より『すぐれて』いれば、競争で手に入れる獲物の大半を競わずして得られる。競争が始まる前に、勝者は私たちだと宣言すればいい。自分たちが勝者だから、自分に有利にことを選び、『人生のルール』を決め、他の者には大きな獲物が渡らないようにできる」

「そうするのは悪意からではなく、自分たちが確実に勝者になるためだ。そうあるべきなのだ。なぜならわたしたちの宗教、国籍、人種、ジェンダー(性)、政治信条こそ真実を知る者のそれであり、従って勝利に値するからだ」

「私たちは勝利に値するから、勝利を得るために他人を脅かし、他人と闘い、必要なら殺す権利もある」


「他にも生き方があり、神には他の考えがあり、もっと大きな真実があるかも知れないが、それは私たちには分からない。それどころか、果たして知っていいのかどうかも分からない。知ろうとしてはいけないのかも知れない。まして、本当に神を知って理解しようなんて、いけないことかも知れない。そのような試みは身の程知らずで、そんな試みを大っぴらに宣言するのは冒涜だ」

「神は知ることのできない知恵者であり、動かすことのできない動かし手であり、偉大な不可視である。だから私たちは、神に愛される条件を満たすのに必要な真実を知ることはできないが、その愛がなければ罪の宣言を逃れることはできず、罪の宣告を免れることができなければ、全てが始まる前にあった永遠の命を得ることはできない」

「私たちの無知は不幸だが、問題にはならない。私たちに必要なのは、信仰についての今までの考え(文化的な物語)を受け入れ、その通りに進むことだけだ。私たちはそれぞれの信念に従って努力し、それでいまのような人生が出来上がり、地上の現実が創り出されている」


=====


人類の大半はこんな風に考えている。
小さい違いはあるだろうが、核心のところでは、あなた方はこんな風に生き、自分の選択を正当化し、結果を合理化している。

 

今挙げた全てを信じてはいない者もいるが、しかし皆、一部は信じている。
 

現実はこうなんだと思うのは、それが内なる知恵を反映しているからではなくて、誰かにそれが真実だと聞かされたからだ。
 

あるレベルでは、あなた方はこういうことを信じなくてはならない。
 

いわば、見せかけの現実だ。
 

だが、もう見せかけの現実から離れて、本当の現実へ向かうべき時だ。
たやすいことではない。


究極の現実は、あなた方の世界の大多数が現実だと思っていることとは、全く違う。
 

あなた方は、文字通り「この世にありながら、この世の

ものではなくなる」必要がある。
 

もし、人生が上手く行っているのなら、そんなことをして何の役に立つのか・・・役に立ちはしない。
 

あなたがもし、人生にも今の世界にも満足しているなら、現実を変えようとか、見せかけの真実を終わらせようと思う理由はない。


このメッセージは、今の世界に満足していない人たちに向けたものだ。

これから、10の幻想を一つずつ検討していこう。それぞれの幻想がいまのような地上の人生を創り出していることが分かるだろう。
 

あなた方は、幻想がそれぞれひとつ前の幻想を元に成立していることに気づくだろう。
どれも同じように聞こえるはずだ。
どれも同じようだからだ。

 

どの幻想も第一の幻想の変形に過ぎないし、元の歪みをさらに増幅している。
 

また、それぞれの幻想がひとつ前の幻想の欠陥を繕うためにできたことに気づくだろう。
 

最後に、あなたがたは欠陥を繕うのにうんざりして、もう理解できないと決めた。
 

だから、「無知が存在する」という最後の幻想が生まれた。
 

これで、謎を解く努力は必要なくなり、「仕方ないさ」と肩をすくめていれば良くなった。
 

だが、それでは進化する精神を長い間なだめておくことはできない。
 

あなた方は数ミレニアムのうちに(宇宙の歴史に比べれば、ほんの短い間に)、無知が恵みではない場所に到達した。
あなた方は、原始的な文化から脱しようとしている。
あなた方の理解は、量子的な飛躍を遂げようとしている。
あなた方は今、見ぬこうとしている・・・10の幻想の向こうを。

 

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